vs.統合失調症&強迫性障害 闘病生活を前向きに送る

持病の強迫性障害と統合失調症と闘い、前向きに生きようとする日常について発信します。時々ネガティブになりますが、私は負けません。

統合失調症・強迫性障害 ~罪の意識・孤独を感じることが多くなりました。~

 こんにちは。前向きんです。今回は、胸の中に抱え込んでいることを吐露しようと思います。


 私は現在、主に持病の統合失調症・強迫性障害と、過去の様々な失敗に対する罪の意識で苦しんでいる、障害等級2級の精神障害者です。正直に申し上げて言葉通りとても苦しいです。
 頭の中は常に嫌なことでいっぱいです。自尊心はズタボロです。過去に犯した罪の意識に苛まれ、自分は幸せになってはいけないと思っています。そのため、何か少しでもプラスなことがあってもすぐにその考えが浮かび、一時的に出た笑顔が瞬く間に消えます。自分なんかが笑っていいのだろうか、楽しい気持ちになってもよいのだろうか、自分は苦しまなければならないという思考回路に陥り、ぐるぐると悪循環にはまります。
 罪滅ぼしにはなりませんが、せめて自分ができる社会貢献をしようと思い、ユニセフマンスリーサポートプログラムという定期的な募金制度に参加しているのですが、統合失調症の陰性症状と強迫性障害による様々な強迫観念から、働くことができず、寄付金額を毎月500円から増やすことができません。
 私は働いていないので、消費税等の誰もが必ず納める最低限の税金とその他数種類の税金を除いて、たいした額の税金を納めることができていません。すなわち、消費しかせず、社会の役に立っていません。社会のお荷物です。(これは様々な罪を犯した私が私のみに当てはめている論理ですので、働いていない方、税金を納めていない方が社会のお荷物に相当するという主張ではありませんので、誰も傷つかないでください。)これらの負い目もあり、自分の存在意義が見出せません。しかし、このような重い内容の相談を友達にしたくても、疎まれることを恐れ、することができません。実際、いつでも相談してねと向こうから言ってきた元友人に数回相談したところ、しつこくメッセージを送ったり電話をしたりするようなことはしなかったのにも関わらず、酷い仕打ちを受けて捨てられ、酷く傷つき、人と接するのが怖くなりました。
 厚生労働省が提供している公的な相談サービスなどもありますが、秘密を漏洩されることを恐れ、怖くて利用することができません。すなわち、苦しみを共有することができる人がいないのです。家族は家族なので、相談に乗る義務があると思います。特に親は子供を生んだのだから、その子供に無償の愛を注ぎ、悩みに寄り添う義務があると考えています。そのため、相談に乗るのは当たり前です。しかし、私はその当たり前ではない立場にいる人に無償の優しさを注いでもらいたいのです。そんな都合の良い人などいませんので、私は孤独を感じます。家族に悩みの一部を相談することはできます。しかし、その家族にさえ相談できないことも多々あります。ましてや、相談に乗るのが当たり前の人に相談して返ってくる言葉なんかには、慰められないのです。


 私は家族がいますが、寂しいのです。孤独なのです。家族に馬鹿にされることもあります。苦しいです。
 消費しかしない私に何の価値があるのでしょうか。働けず、かつて入院していた時に保険会社からもらった40万円(現時点の残金約24万円)から、毎月たった500円ぽっちの募金しかできない私に存在意義はあるのでしょうか。
 人に言えない罪を犯してきた私はのうのうと生きていてよいのでしょうか。
 統合失調症と強迫性障害を発症したのは、天罰だと思っています。ですので、長年治療していますが、一向に良くなりません。
 前向きんが私のハンドルネームですが、私なんかが罪を棚に上げて前向きに生きてよいのでしょうか。
 一生この呪いに苦しみ、生きていきます。どうか皆様が後で後悔することのないよう、日々を慎重に生きていってくださることを切に願います。また、私を捨てた人のように、外面だけ一時的に良くして人を後で蔑ろにするようなことはせず、そばに苦しんでいる方がいらっしゃった場合は、優しくしてあげてください。


 このブログは病気で苦しんでおられる方々や、働けずに困っている方々などを否定するものではありません。人にはそれぞれの事情があります。私が私を許せないので、私の現状を否定的に書きました。病気で苦しんでおられる方々、働けなくて困っておられる方々を私は寧ろ応援しています。皆様は素敵です。既に頑張っていらっしゃいます。ご自身を否定せず、優しく認めてあげてください。前を向いて生きてください。